元大学教授の価値観って、なあに?

長めのブログに挑戦します。

田舎暮らし」とはなにか、精神的な部分でのお話です。一言でまとめると、住んでいる場所が都会であっても田舎暮らしはできるのではないか、田舎暮らしとは物の捉え方の「枠組み」あるいは「基準」であって、その意味で反対に位置する都会暮らしとその距離を保っているのではなかろうか、それは最終的には個人の観念価値観の問題に帰結するのではないか、ということを私が最近手に入れた走行距離95,000キロ中古車Will Viを例に説明できたらと思います。一言ではないですね、すいません、いろいろな思いを込めて書きます。最後までお読みいただければ幸いです。

他グループの論文を鵜呑みにするな!

これは、私の恩師からの指導です。別の先生からも実験中に「親亀こければ皆こける」と、私が学生時代に何度も何度も耳元でつぶやいていただきました。

 

研究で大事なものは、論文です。論文で報告された結果をもとに、次を考えます。すべての実験を自分が開発した技術や方法で実施できればそれはそれでよいのですが、それは到底無理な話です。そこで、他のグループが出した論文を参考にして、自分の結果を考察します。研究者の皆さんも、ほとんど同じだと思います。しかしながら、私の恩師は、「信じられるのは自分の結果だけだ、論文に書いてあることは自分で確かめろ」と口が酸っぱくなるほど言い続けていました。当然、日常生活にもこの姿勢は影響してきます。なぜなら、私の学生時代は休日はほとんどなく、一日に16時間くらいを研究室で過ごしていましたので。

 

ブランドに頼っていた若いころ

私の若いころ、すなわち30年以上前は、「丸井の赤いカード」の全盛期でした。学生向けの分割払いが可能な「悪魔の赤いカード」を愛用していました。このころに学生さんだった方は、思い出していただけたことでしょう。赤いカードが普及した背景には、ブランド志向がありました。もうお亡くなりになりましたが、関西出身の政治家、いや作家の堺屋太一先生の代表的著書である「知価革命」をお読みいただければわかると思います。同じ質と柄のネクタイでもエルメスならば3万円、ブランド名が無ければ1,500円というくだりです。要するに、私の価値基準は確立されておらず、それを支えていたものがブランドでした。皆が知るブランドの服を着て、皆が知るブランドの靴を履いて、物を買うときの基準にブランドが存在していたわけです。

 

ブランドという価値基準の崩壊

どうしてブランド志向が消えたのか、はっきりした区切りは思い出せません。あえて理由を探すとしたら、1.家内との結婚、2.節約を強いられるようになった、3.恩師の教えが生活にまで浸透した、4.色んな本を読みまくった、この4点が思い浮かびます。

 

家内とは、お見合いで結婚しました。一番実験が波に乗っている時期で留学を考えていましたので、海外で生活しても大丈夫な女性を、親戚のおじさんに頼んで紹介してもらいました。簡単に言うならば、どんな性格なのか、どんな嗜好があるのか、どんな人生を送ってきたのか、ほとんど知らずに結婚しました。一番驚いたのは、まったくブランド志向がありません、皆無でした。だから、気心が知れてくると、買い物で意見が衝突します。値が高いブランド品を選ぶ私、値段やブランドではなく自分の価値観にフィットしたものを選ぶ家内、商品が一致するわけがないのです。

 

米国留学をきっかけに、家内は15年以上続く、そんなに長く続くと誰が予想できたでしょうか、その病に苦しみだします。そして、私にも徐々にが忍び寄ってきました。明るくて陽気で話し好きが取り柄だった私が、まさか無口のになるなんて。当然、大学へは行けなくなり自宅で療養します、そして最終的には正規の職は辞めることになりました。周りの多大な取り計らいのおかげで、その当時の収入はある程度保たれていましたが、当然、入ってくるお金が少しずつ減っていくわけです。マンションのローンだけでも、毎月15万円です。しばらくしてから、おかげさまで状態から脱しました。ですので、毎日出勤し、研究はきちんと続けていました(そのころの結果が割と良くて、後に特許技術までの成果に伸びます)。そんな状態ですので、自ずと節約生活が始まりました。ブランドとは強制的におさらばですが、家内のものの選択の仕方が理解できるようになってきたのもそのころからです。ブランド品ではなく安いものでも、良いものは良い。それに加え、になると家に引きこもります、家内は病気で毎日苦しんでいます、そこからの逃避がお便所での読書でした。お便所の中までは、家内は追ってきません、お便所という実質的な空間と文字という仮想空間に、私は逃げ込みました。そこで、「7つの習慣」、前出の堺屋先生の数々の著書、当然、ドラッガーシリーズも、ブックオフで調達です。歴史から啓蒙書まで、多分年間100~150冊のペースで読書をしていたと思います。

 

新たな観念の構築期

健康と食事について、書くことにします。私のブログ「ちょっと真面目な、低カロリー食のお話し」で書かせていただきましたが、新たな観念の構築において長寿遺伝子の与えた影響は非常に大きいと思います。17年間サルを使った実験で、1日当たりの摂取カロリーを7~6割くらいに落としたサルの見た目は、そうしなかったサルより若々しく見えました。原著論文を読んでいないのでこの程度にしますが、その写真のインパクトは大変、大きかったです。それから、私は子供のころから、ほぼ、毎日、太田胃散を飲んでいました。家族の皆が飲んでいたので、胃が痛いのは普通だと思っていました。朝、起きた時からしばらくが最悪です。まず、歯磨きでげっぼ、朝食でげっぼ、そして胸やけが継続します。ただ、「朝食は食べなければいけない」という固定観念が備わっています、朝食を抜くなどという考えは、毛頭ありませんでした。しかし、これは一変します。ある歴史の本に「江戸時代は2食だった」とい1行を見つけました。私の固定観念が崩壊し始めたことは、明らかです。それから、家内から逃避するための早朝マラソンを頻繁に行ったのも、このころです。朝食を食べる時間がなくなりました、それでもなんとか大丈夫なわけです。お昼ご飯前には超お腹がすきますが、午前中の不快感からの解放は、これを余りあるものとしました。さて、太田胃散に話に戻します。家内はまったく服用しませんでした、なぜなら家内は太田胃散という名前すら知らなかったからです。そんなこんなのある日、家内と一緒にピロリ菌の検査を受けたわけです。案の定、ピロリ菌陽性、すぐに除菌です。というわけで、その後、胃のむかむかから解放されたばかりではなく、朝食抜きの生活が開始されていました。追い打ちをかけるようにして、「飢餓状態になると長寿遺伝子が活性化されるんだから、食事を減らすことは体に良いかもしれない」、まさに私の中できちんと食事をとらなければいけないという固定観念が崩れ落ちた瞬間です。同時に、新たな観念が構築されようとしていました。自分が正しいと思っていたことは正しくないかもしれない、習慣というものは後付けのものであってそこにきちんとした説明や論理はないかもしれない、ならば自分で確かめてみよう、自分で確かめる必要がある。恩師の教えが、いよいよ日常生活に深く浸透してきたわけです。

 

Will Viを買い替えよう

Will Vi と言う名の車は、なかなか個性的な形をしています。

結婚して、初めて新車を購入しました。丁度、留学から帰国した時です。そうです、家内の病が始まった時です。なぜ、Will Vi なのか?家内の意見が優先されました。私がそれまで乗っていた車は、トヨタソアラです。スポーツカーです。それに対してWill Viは、女性が好きそうな形です。まったく毛色が違います。なぜ、家内の選択に合わせたか、それは家内がお金を出してくれたからです。

 

家内のとともに愛用したWill Viは約20才、2020年の1月で走行距離が195,000kmです。当然、いろんな所に痛みが出ていました。特にボディーはボロボロ、塗装が剥げていましたので、赤信号停車中には子供に指をさされる始末、そんな車でした。タイミングベルトの買い替えが200,000km、費用が数万円、どうしようかと迷っていました。しかし、お金がありません、どうしよう。そんなある日、給油した時にガソリンタンクのキャップが開かなくなりました。たまたま同乗していた家内は即決です、車を買い替えよう、だけどお金がな~い。

 

それから探し出したのが、新しいWill Viです。前の車はシルバーメタリックでした。今度のWill Vi は、薄いラベンダー色が入ったホワイトです。なかなか、センスが良い、おしゃれな車です。それに価格は、コミコミで30万円、めちゃくちゃ安い。それは、走行距離が90,000kmを優に超えていたからです。多分、いや間違いなく、買い替えの1台目の車として、これを選ぶ人はいないでしょう。しかし、私と家内は意見が一致しました、そうです、「これはお買い得だ、だって後100,000kmも走るじゃないか!

 

田舎暮らしとは

「私の田舎暮らしは、神様からの贈り物」で書かせていただきましたように、この過疎化した町に移り住んできたのは、偶然です。田舎暮らしにあこがれてこの地に移住してきたわけではありません。我々家族の行きついたところが、ここでした。

 

引っ越してきて最初に驚いたのが、役場に行った時です。世帯数の2倍の数より人口が少ないのです。目を疑いました。そうです、一人暮らしの方が多いのです。まあ、いろんなことで、関東の住んでいた都会とは全く違いました。

 

良い意味での環境の違いは、沢山あります。それらは後々、このブログで紹介していきたいと思います。

 

私が思うに、私と家内の2人に限定していえば、我々の田舎暮らし生活は、すでにかなり前から始まっていたのではないでしょうか?この地にたどり着く前に、始まっていたのではないでしょうか?私は、多くの時間を家内の病気のために使うようになっていました、生活で必要なものはそのものが有する本来の価値で判断するようになっていました、古いものを有効利用するようになっていました、健康のために食事に気を使うようになっていました、そして名誉よりも生活を優先するようになっていました。そうです、都会の物質的で利便性が高く社会的活動が優先される世界から、田舎の不自由ではあるが精神的で個性が優先される世界に移り住んでいたように思います。だから、時間をかけて徐々に精神的な田舎暮らしに順応してきた我々にとっては、少なくとも私には、現在の田舎暮らしが心地よいわけです。新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う未知の恐怖に対する不安、この精神的ダメージは、過疎化した環境が緩和してくれていることは間違いないでしょう。収入の見込みはほとんどありません、これからコロナ禍がどうなるかわかりません、普通だったら最悪のシナリオが私達家族には見えているはずです。しかし、状態の時に経験した先の見えない世界に、私はいません。私にはっきり見えているものは、過疎化した町での田舎暮らしがコロナ禍を遠ざけてくれていること、そして、価値観が揃ったパートナーがすぐそばにいることです。だから、私の前にはただ明るい道が、くっきりと見えているのです。家内と一緒に手をつなぎながら歩いている姿が、はっきり見えているのです。そして、その道の両側に草が生えています。遠くには、海が見えています。途絶えることなく真っ直ぐに続いている道は、永遠です。車は走っていません、大きなビルはありません、間違いなく都会ではありません。人もほとんど歩いていません。あるのは青い空、青い海、緑の草原、そして家内です。時々、家内に聞かれます、「私って、あなたにとって何なの?」。私の答えは「空気だよ」。

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この自信、あるいは、確信はいったん何なんでしょうか?

 

追記:家内は、週4でバイトするほどすっかり元気になりました。関東在住の友人の先生の車の走行距離は290,000km超えですが、まだ買い換えないそうです。