頑張っている自分を誉めてあげよう(ほとんど自慢話です、ごめんなさい)

私の座右の銘は、「神様は見ている」です。それの意味するところは、「汗をかいた分だけ報酬が得られる」、あるいは「あらゆることは努力しなければ、成果にならない」だと思っています。神様は見ている、すなわち、見られているから手を抜くな、いつも自分に言い聞かせています。反対の解釈といたしましては、「手を抜くと、何も得られない」「努力なき所に報酬無し」でしょうか。

 

自分の人生を振り返りますと、よくがんばったなという時期が何度かありました。まずは、大学院の試験を受けた時です。大学入試でないところがポイントです。実家に帰って数か月間、一日16時間以上勉強しました。親に、「座布団にコケが生えているんじゃないか」と言われたくらい勉強しました。2つ目は、32歳の時です。大学で助手のポジションを得ていましたが、なかなか成果が出ずに苦しんでいた時です。些細なことをきっかけに、急に実験に集中することができました。本当に頑張ったのは数か月間です。毎日午前3時に起きて実験の準備を開始し、午後8時過ぎまで実験です。3つ目は、講師から助教授になる時でしょうか。ゼブラフィッシュという小魚を実験材料に使っていた時です。自分自身が鬱になって研究室に行けなくなったので、学生と一緒に実験をすることはなくなりました。独り黙々とすべての実験を行うようになっていました。これは割と長期間でしたが、本当に実験に集中することができました。そして、ごく最近、もちろん大地を耕していることです。

 

成果は、大学院の入試では本当の勉強できたので、その甲斐あって海外に留学することができ、最終的には大学教授になることができました。32歳の時の実験では、教科書に掲載される発見をすることができました。これで、ハーバード大学の医学部でセミナーをすることや国際学会で自分の成果を口頭で発表することができました。さらに、ノーベル賞を受賞した、あるいはこれから受賞する可能性が高い先生方とお知り合いになることができました。ゼブラフィッシュの実験では、遺伝子工学の新技術を発明することができました。すでに、特許になっています。もしかすると、将来は難病治療のための薬の開発に使われるかもしれません。

 

このように努力が報われることを肌身で感じ取っています。なので、座右の銘は前出のようになるわけです。今は畑を耕すことに集中しています。大地を耕し続ければ、何かの報酬がいつの日か得られると確信しています。それは、健康な体かもしれません。美味しくて安全な野菜かもしれません。家族の絆かもしれません。耕したところが可視化できることは、大変励みとなっています。鍬を入れている時は汗だらだら、呼吸困難で今にも倒れそうです。しかし、ジョギングで鍛えた持久力で、これからも広く広く開墾していきたいと思います。明日も畑に出るのが楽しみです。