私の老後は85歳から

 

2,000万円、皆さん覚えていますか?もちろんですよね、老後に必要とされる貯蓄額です。その後、この金額を巡ってはすったもんだしましたが、かなりのインパクトがあったことは事実です。この前の黒川さんの退職金は5,900万円ですので、軽くクリアーしています。

 

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昨日の私のブログを一言でまとめると、リスクマネジメントです。今日はなんでしょうか、無理矢理まとめるとドラッガーと親父から学んだこと、でしょうか。ドラッガーと親父はかなり違いますが、私の人生設計に対する影響は同レベルです。

 

人生のリスク、特に60歳に近づこうとしている私にとっての最大のリスクは健康を損なうことです。病気にならないまでも、身体を動かすことに支障が出てしまうことが最大のリスクと捉えています。なぜならば、働くことができなくなるからです

 

私の人生の大きな変換点は、新型コロナウイルスパンデミックの只中でした。大学に毎日通勤する必要がない田舎暮らしが始まったからです。黒川さんの件では、定年を延長するかしないかが事の発端でしたが、私には、もう、定年はありません。残念ながら、黒川さんとは違って退職金はありません。あるのは、健康な体と住む家と畑と恵まれた自然環境です。家内はおかげさまで長期間にわたる病から脱しました。今は、元気に働いています。ということで、私達夫婦の現時点での財産は、お金ではなく健康な体ということになります。

 

私の父は、長い間、建築関係の仕事をしていました。山梨の田舎の会社の営業でした。営業と入札が仕事です。何歳までその会社に務めていたか、覚えていません。会社を辞めてからは、引っ越しを繰り返しました。そして、最終的に私のマンションの近所に住むようになりました。多分、その当時は70歳くらいだったと思います。そうこうしているうちに親父は職安に行き、造園関係の仕事に再就職しました。年金をもらっていましたので、給料は大した額ではありません。親父の目的は、家でじっとしているのが嫌だった、外で働きたいということだったと思います。そこでも営業と入札の仕事です。その頃は、入札が手作業からインターネット経由に変わりつつある頃です。なので、入札用の書類をPDF化しなければなりません。70歳を過ぎていた親父は、中古パソコンを購入しました。独学でワードやエクセルをマスターし、造園の会社でだんだんと必要不可欠な人材になっていきました。会社からお金を出してもらって学校に通い、2級造園施工管理技術検定試験にも合格したと思います。震災が起こった2011年3月11日は、関東で電車が止まりました。親父は、会社から3時間かけ、歩いて夜中に帰って来たのを覚えています。その時の年齢は83歳ですので、今改めて思うに80歳を過ぎても元気に働いていたことに敬服してしまいます。その後は、私が突然、関東から関西に引っ越しましたので、後を追うようにして、親父家族も故郷の関西に戻ってきたわけです。

 

「今の仕事をしているうちに、5年後、10年後、20年後の自分を想像しろ、早いうちに種を蒔け、そして挑戦しろ」、とドラッガーの本から学んだように思います。

 

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早いうちに種を蒔け

私が見ているものは、80歳になっても働く自分の姿です。親父がお手本です。非現実的な話ではありません。80歳の時はオンラインの仕事がメインになっているかもしれません、農業に専念しているかもしれません、あるいは親父のようにどこかの会社で働いているかもしれません。そうするために今必要なものは、まさに親父が持っていた健康な身体です。83歳という高齢でも3時間、歩き続けられる体力です。あの名著「7つの習慣」でも、健康を保つためのトレーニングの重要度は、かなり高いはずです。

 

ドラッガー然り、私の将来への挑戦は、身体を鍛えることに他なりません。そうなってくると、身体を傷つけてしまうリスクが高い交通事故に遭遇しないようにすること、感染症に罹患しないようにすることが、私ができる備えということになります。野菜中心の食生活を実践することで成人病を遠ざけ、農作業をすることで全身を鍛え、ジョギングすることで足腰を鍛える、これに尽きるのではないでしょうか。国が試算した老後のための2,000万円の貯蓄は、本当に大丈夫なのでしょうか?それよりも、これから85歳まであと30年間働き続けることの方が、豊かな人生を過ごせると思いませんか?そもそも、私の老後は85歳からなので、その時に2,000万円、もう必要ないですね。