今を生きるのではなく、将来を生きているような気がする田舎暮らし  

 

東京および大阪、あるいは人口が多い各地域の都市部では新型コロナウイルス感染者数が著しく増加してきた。緊急事態宣言を出した時よりも1日当たりの感染者数は多い。しかし、首相は「今は前回とは異なる、緊急事態宣言を出す時ではない」と言い切った。それでは、どこまで数字が大きくなったら緊急事態宣言を再び出すことになるのだろうか。あるいは、どんな状況でも、2回目の緊急事態宣言はないということなのだろうか。

 

仕事が変わった。私の友人は化学薬品の営業職だが、営業には回っていないと言う。会社と自宅で業務をこなしているようだ。行楽も変わった。これまでだったら行きたいところに行くのが当然だった。今は、行ける場所に行くことになっている。人との付き合い方も変わった。どうでもよい人に会うことはなくなったのではないだろうか。今までだったら付き合いだからしょうがないな、と言って参加していた飲み会も、無理して行かなくなった。本当に会うことが必要な人だけに会う。海外に行きたくてもいけない。故郷に帰りたくても帰れない。

 

こんな状況だと、目先のことにとらわれがちになってしまいます。そうしないと、日々の変化する状況に対応できないからです。しかし、こんな時だからこそちょと先のことを考えてみたらいかがでしょうか?なぜそうするか、それはわかりません。そうしたほうが良いと思うからです。

 

私の毎日の仕事は、畑を耕すことです。目の前にあるのは雑草が生えている広い場所と、これまでに鍬を入れてきた雑草のほとんど生えていない場所です。耕した場所に種をまいていないので、まだ、何も生えていません。ただし4本だけ、苗で買ってきた夏野菜が実を結んできています。私が畑で耕した土地を見ながら想像していることは数か月先の様子です。野菜が成長して実を結んでいる様子です。

 

畑で作業中は、私以外誰もいません。だから、新型コロナウイルスが襲ってくる可能性はゼロ、ただ、黙々と雑草を刈っています。固まっているところに鍬を入れ、土を柔らかくしています。直ぐに汗が噴き出ます、息が上がります、そして、蚊がぶんぶん頭の周りを飛び回る音が聞こえています。いったいこれが、幸せでしょうか?「はい、幸せです」と即答できます。なぜなら、体力と筋力が付きます。持久力が付きます。そして、後戻りすることはありません。失うものがありません。将来には収穫できるという幸のみが待ち受けているからです。そこで、頭の良い人は私に聞くかもしれません。「あなたは、農作業で時間を失ってるのではないですか」と。それには、どう答えましょう。「いえいえ、私は時間を失ってません、むしろ、時間を有効利用しています」「今の時間を使って将来の時間を楽しくしているんですよ」。

 

追記:今、久しぶりにまとまった雨が降っています。4本の野菜や庭のバラには恵みの雨です。なので、雨音を聞くことが嬉しくなっています。